ぽろぽろblog

思ったこと考えたこと感じたことをポロポロこぼれた感じで文章にしてます。

酔っ払いのたわごと

強すぎる街の光が酔っ払って淡いついた頭に響く。

光一つ一つに人の営みと日々を想像して愛おしく思うような、何をバカのことを考えてるのかと笑ってる僕がいる。

 

ぼやけたピントが街の輪郭だけを捉えて

ぼやけたピントのまま自分の日々を想像して

酔って淡い思考が濃いめのコーヒーで少し醒める。

 

微妙なあやふやなボヤッとしたふわついた空を眺めてる。

 

「ありきたり」という常識が自分を縛る。

「ありきたり」の中に光る、あなただけの選択が、あなたをあなたたらしめる物語となる。

 

人とは違うと言い張る声こそが同じことの証明で、それでもいいと、1人自分に向ける呟きこそが「らしさ」の種になる。

 

夜、街、街灯のない暗い道。

携帯の画面が眩しくて目を背ける。

 

前に歩いてるカップル。横を歩いてる観光客。

1人早足の女性、ふらつくおっさん。

そして自分。

 

様々な人間が歩く一本の道。それぞれに物語と生活がある。酔った頭でぼやぼやとそれを想像する。全く、何をしてるのか自分でも不思議に思う。

 

彼らの名前も顔も人柄も、なんにもわからないけど、そこにいて生きていることは確かで。

もう一生会うことはない人間が目の前を歩いていることが不思議で面白い。

 

右に曲がるカップル。マンションに入った女性。道端で寝始めたおっさん。別れ別れになって、気づけば1人夜の道をポツポツと歩いてる。

もう黙れよお前

どう折り合いをつけたらいいのだろう。

どうすれば矛盾した自分を認められるのだろう。

1日1日が新幹線の窓からの景色のように、来たと思った時には通り過ぎて、前を向こうとしても早すぎて、今なんて見れずに、今に生きながら過去ばかりを見てる。

 

結局、自信も確信もなく、不安なまま一歩を出し続けるしかないのだと思う。

折り合いもつけれず、矛盾だらけのまま、このままじゃダメだと思いながら。

 

わかってる。そんなことはとうの昔に気づいてる。それでも動けない、動かない自分がただいるだけ。俺は俺との勝負に負け続けてる。でもこの勝負は勝敗基準もルールも何もかもが決まってなくてどう戦えばいいのかすらわからない。

 

やりたいこともなく、夢中になることもなく、真剣に向き合うこともなく。絶望も希望も達成感も成功も失敗も挑戦も大きな変化も成長もない、日々。

珈琲もキャンプもカメラもスポーツもギターもほどほどに楽しんでるだけ。

洗濯をしてご飯を作って、たまーに掃除をして時間が空いたらアニメ見て寝落ち。

インスタのリールを三時間スクロールしてゲームしてYouTubeみてAV見てオナってベットから動かず日が沈んでく休日。

彼女が欲しいと言いながら何も変わる気がなく、何かに夢中になりたいと言いながら一切行動せず、繰り返す、ほどほどの惰性の日々。

平凡で普通で大なり小なりみんな抱えてるであろう葛藤を自分だけの特別だと信じ、人とは違うと思いながら、結局動かない。

自分を自分で責めるのは他人から優しくされたいからでしかなく、ただのエゴ。

そんな自分を綺麗に取り繕ってカッコつけて隠して着飾って丁寧に丁寧にラッピングした俺が一番ダサい。

 

俺はカッコよくなりたい。カッコつけるんじゃない。理想の一番かっこいい俺はめちゃくちゃイッチバンぶっちぎりにかっこわるい俺になることだ。

心のモヤモヤ

時折やってくる。あいつは空気なんて読まずに、「よっ!」とか言って現れる。

名前のつかない、曖昧で漠然とした不安、恐怖、焦燥みたいなのが混ざったもの。俺は心のモヤモヤと呼ぶ。

 

心のもやもやをどう言語化すればいいのか。マイナス寄りのマインドと、どう付き合っていくのが俺にあっているのか。

前向きな言葉だけを吐いて、どんな時でも笑って、なんとかなるさと歩き続ける人間、にはなりたくない。というかなれない。

 

人は醜い部分を絶対に持っているし、社会に流れる、いわゆる当たり前と言われる倫理観や道徳的なところと大きく外れたことを簡単なきっかけで思ったり行動したりする。

それが悪いことだとは思わない。でも自分の中で認識はしていたい。特に俺はカッコつけるために自分に嘘をつくのがとても上手だから。気づかないふりはしたくない。

 

こういうことを考えると、「嘘の感情」と「本当の感情」みたいなワードが頭に浮かぶ。でもそもそも感情に本当も嘘もない。めんどくさいと逃げようとする自分も、向き合って戦おうとする自分も、いる。そういうもん。

 

もう当たり前だし、何回でも思ってるけど、結局いつも同じ結論に辿り着く。

 

今、自分ができることを。

 

洗濯、掃除、片付けをすること。

美味しいものを食べること。

ちゃんと8時間寝ること。

7時か8時には起きること。

外に出て太陽を浴びること。

 

今、自分ができること。それを考えて、選んで、実行する。

 

単純、シンプル、明快、簡単。

 

この気づきを何度も何度も繰り返してる。忘れては思い出し、痛い目見ては思い出し。

何度でも繰り返す。

 

過去に後悔して、未来に不安になり、今に絶望するのではなく。

今、自分にできること。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

振り返って今

<NZのとあるカフェから>

なんとなく、ふと文章を書きたくなる瞬間がある。一応年末だしなんとなく今年の振り返りでもしようかな。

 

去年の年越しは奴らがうちに遊びに来ていた。ライブにスキーに温泉に、賑やかで楽しい年末年始だったのを覚えている。あれからもう一年が経っているなんて信じられない。

2月から5月はフィリピンの語学学校。人生で一番、そして唯一、ちゃんと勉強をした時間だった。ちゃんと勉強して受けるテストはとても緊張したし、結果が出た時の喜びは半端なかった。中学のテストなんてマジで興味なかったから点数がどんだけ低くても「へー」って感じだったし。とにかくこの勉強が今の英語力の大きな基礎になったのは間違いない。

5月から6月は一旦日本に帰ってNZ行きの準備兼会いたい人に会う時間。沖縄に行けたのは嬉しかったな。

6月21日に飛行機に乗りNZへ。少しの緊張と楽しみを感じながら飛行機を降りた。そこから今12月29日までNZ生活。Auckland、Whakatane、Gisborn、Napier、Hasthingsとてんてんとしながらそれぞれの場所で人と出会い、景色と出会い、旅をしてきた。

 

海外へ漠然と大きな変化を期待していた自分は、良い意味でも悪い意味でも裏切られた。別に俺は日本にいようがNZにいようが上野響生で、日本にいた頃と同じように悩んで考えて生きている。それはどんな環境でも自分の芯をしっかりと持って選択し続けれるということ。それは自分の価値基準の枠から出ず、安全圏の中で楽をしているということ。どちらが良い悪いではなく、今の自分にある要素で、結局は俺がこの先どうしたいかでしかない。

 

NZでの日々で明確になったものがある。俺は「本気」「夢中」「必死」に憧れている。きっと対象はなんでも良い。足が震えるような緊張や、叫びたくなるほどの喜び、泣いて寝れないくらいの悲しみ、心が大きく動く瞬間を味わいたい。そのために今この瞬間の自分の気持ちを大切しようと思った。どんなに大きな目標も自分の理想もそこに行くためには、とにかく一歩、小さくても一歩をどんな形でも出し続けること。

来年の抱負は「挑戦」かな。

 

 

 

 

珈琲について

〜珈琲について〜

ここ最近金がなく、珈琲を淹れれなかった。

というか珈琲豆を買えなかった。

ようやくほんの少しの余裕ができて珈琲豆を購入。

たそかれのマンデリンとひばり屋のルワンダ。今日はたそかれのマンデリンを淹れる。

久々に珈琲の準備をして思う。「あぁ、俺、珈琲淹れる時間好きなんだな」

毎日、一日一回、珈琲を淹れる。カフェオレの日もあるし、カフェラテの日もあって、エスプレッソだったりもする。夏の暑い日はアイスコーヒーが美味しい。

そんな日常の風景に馴染んだルーティンだった。

 

白い陶器のポットに水を入れコンロのつまみを一番奥まで回す。

カチッチッチッチと音が鳴って火がつく。

珈琲フィルタを取り出して折り目をつけてドリッパーにセット。珈琲豆を選び考える。大好きなたそかれの袋を取り出す。

ジャッジャと珈琲豆が擦れる音。

ミルに一人分の豆15グラムを落として荒さを調節。

ガリガリと砕かれる珈琲豆から深煎りマンデリンの甘い香りが漂う。

フィルターにさっと流し、指で真ん中に窪みを作る。

お湯が沸いた。一度ドリップポットに移し、それを高いところからコップに移す。もう一度ポットへ。

ポットを右手の薬指と中指の2本で持ち上げ親指をゆっくり倒していく。

ポトポトとお湯が珈琲豆に落ちていく。立ち上る煙と一緒に香りがブワッと一気に広がる。

全体にお湯が行き渡ったら1分半蒸らす。

耳を澄ますと、シュワシュワと珈琲豆が歌っている。乾燥している豆に水分が入り込み蒸気を出して珈琲の美味しいエキスが滲み出る。

中心から円を描くようにゆっくり丁寧に回し淹れていく。

丁寧に、丁寧に、丁寧に。

心が静まり、呼吸が遅く深くなって、整っていく。

お湯が落ちた所の豆は泡が出て膨らみ、広がっていく。

均等に、広く高く膨らむ珈琲豆の気泡。美しく動いている。

150mlまで入れたらドリッパーをサッと切る。

黒、ではない。深い藍色、とも違う。珈琲の色を何と表すのかわからない。

サーバーに入った珈琲を一回り、二回り揺らしコップに注ぐ。

白い湯気と香りは寒い冬の部屋の中には目立つ。

 

コップの淵に口をつけ空気と一緒に啜る。

瞬間、口の中に広がる香りと甘み。ふぅーっと一息。

 

今日はいい1日になる、そんな予感のような確信があった。